悩んだって仕方のない話
ゴテゴテな富と名声を手に入れたとしても、
結局欲しいものっていうのは、
仲間内の内輪ノリ的なアレだったり、
気兼ねなくディスれるような、
いわゆる「いい関係」の友達であったりだとか、SNSにプリクラを載せるJK、ストーリーでほのめかす馬鹿なカップル、なんとなく大学のサークル入って、就活して、大人になるみたいな人生だったりもする。
でもそれって結局、その渦中にいる人にとってはいつもの日常でしかなく、大したものではないのかもしれない。ただ、自分よりずっと明るくて、幸せそうに見えてしまうから悔しくなるんだろうな、と最近よく思う。
ないものねだりとはよく言ったもので
上手いこと現状に満足しないようにできている。
でも、羨ましいからといって、今からなろうとは1ミリも思わないくらい今おかれた場所と自分とのフィット感や、居心地の良さや自信があるから、
その点は救われているなと思う。
それに、羨ましいなと思っても、自分の最終的なゴールが、
「孫に囲まれて死ぬ」
みたいな、世間一般的な理想ではなくて
「死後何十年たっても、誰かがどこかで口ずさんでくれるような音楽を作る人になりたい」
っていうものだから、
こんなものに憧れる場合じゃない、と思う自分もいる。でも羨ましい、私だって放課後遊びたい…と思う、要するに堂々巡りをしているということです。
放課後なんて概念すらない毎日だけど…
高校生の生活は、どんなに
テストだとか、先生の言葉とか、朝早いとかしんどいものがあったとしても
それに勝る「キラキラ」だったり、「楽しさ」みたいなものが滲んでる
それは私が手に入れられなかったものだから、たまに喉から手が出る程羨ましくなるものへと変わる。
深夜に歌詞に悩んだり、この現状に悔しい思いをする自分と照らし合わせると
情けなくて不甲斐なくなる。
去年まで自分もその一人だったなんて考えられないよなとも思う。
でも戻りたくはない。
この負の無限ループっていうものがあと1年は続くこと、そしてこれから来るであろう頭に「最後の」と付く高校行事の数々、例をあげるのであれば
「最後の体育祭」や「最後の文化祭」等
なにかとしんみりするような恒例行事が訪れる度
きっと私は悔しくなったり、自分が決めた選択に首を絞められるけれど、めげずに頑張ろうと思う。
とにかくどこで道を間違えたかとか考えるけど
この状態に100%満足してないかといったら嘘になるし
私は私だし、お前はお前だよなといえば
それまでの話ですね
おしまい